三戸サツエ
子どもの頃の思い出を語るオトナ達は、きまったように、仲間達と共に山野をかけめぐり、海や川で泳ぎ、エビやサザエ、アワビ等を取り木の実や芽を探し、小鳥や小動物を友とし、群れて採取に出かけた少年少女時代を楽しく語る。そこには、みんなのめんどうを見るボスがいて、仲間の間にきまりや秩序があった。
それは、あたかもサルの集団を見るようでもあり、また、狩猟採集していた初期の人類の生活様式を想起させる。
大きな子の親は、
「小さな子にけがをさせないように、よく気をつけるんだよ。」と言い、小さな子の親は、
「兄ちゃん達の言うことをよく聞くんだよ。」
と、さとし安心して年上の子にまかしたものである。このようにして、子ども達は自力で生きるもろもろの能力を身につけた。
これは戦後の荒廃した日本から今日の繁栄を築く原動力となったのではないでしょうか。
河合雅男著、「子どもと自然」の書きだしに次のような文章がある。
人類の誕生と文明の発達人間は幸福を求める動物である。猫や犬も快適な環境を求めはするが、積極的に幸福を追求する行動をとることはない。長大な生物の進化史の中で営々として作られた生態系の、いわば予定調和のような均衡系の中で、すべての生物はあるがままの姿で暮らしているのである。もちろん、そこには見えない競争があり、ときには血みどろの闘争もある。食うものと食われるものとのはげしい争いの関係が、生物の世界の根底にはある。しかし一方、棲み分けという平和共存の方策も、その中から生み出され、生物世界を構築する原理として機能している。
人間はいつごろから、積極的に幸福を追求しようとし始めたのか。それは長い人類史の中で、おそらくごく最近のことではないだろうか。人類がいつこの地球上に誕生したかは、定かでない。化石人類学や分子進化学などの最近の知見によれば、たぶん500〜600万年前に高等猿類から分かれ、ヒトとしての道を歩み始めたものと考えられる。初期人類の生活様式は狩猟採集であったが、約1万2000年前に農業と牧畜という新しい生業が始まった。人類の歴史をかりに500万年とするならば、人類はそのうち約499万年は狩猟採集の生活を送ってきたのであって、農業と牧畜の発明はごく最近始まったことにすぎない。
農業と牧畜の発明は、人類史の中でも際立った大きな革命的事件であった。このことによって、人類は自然を自らの手で改変することを覚え、人為による生産手段を獲得し、やがては自然を征服し管理する方向に向かったのである。そして、文明の発達によって、幸福を手に入れることができると信ずるようになった。
科学的思考および自然科学という学問を手に入れることにより、人類は物質文明を発達させていったが、いつしか幸福は物質的に豊かになることによって獲得できる、という錯覚に陥ってしまった。わが国においても、第二次大戦後の惨憺たる疲弊を克服し、高度経済成長の後の科学技術の進展による物質文明の発達は、目を見張らされるばかりである。戦後の苦境の中で、誰がこの豊かな状況を予想しえたであろうか。
われわれを取り巻く環境は、あっというまに人工化し、急速に自然が破壊されてしまった。昭和30年頃までは、東京都の23区でもトンボやカエル、バッタなどの野性小動物がけっこうたくさんすんでいた。ところが、30年から40年までの間に、それらはすっかり姿を消し、農村でも農薬の大量使用によって急速に動物たちは消滅してしまった。戦後生まれの人たちも、しばらくの間はセミやトンボ捕りに興じ、川遊びや木登りに夢中になって、自然とたわむれた記憶を持っている。しかしそうした幼少年時代を支えていた環境が一挙に崩壊し、子どもたちは自然とのつきあいを断ちきられてしまうことになった。
一昔前は、道路に子どもたちが群れていた。今は自動車が道路を占領し、子どもたちはそこからすっかり駆逐されて、家の中に閉じこめられてしまった。多くの子どもは小さな家で飼育され、学校では厳しい管理の下に画一的な教育で締めつけられている。そして、テレビやオーディオセット、ファミコンなどの電子器具に埋もれ、無機的な世界の中で密室文化に耽っている。まるでクモの巣にかかった蝶が、もがきながら体液を吸いとられていくように、子どもたちは過剰な情報の網の目の中で、もがきながら精神を衰弱させていく。
幸福をもとめる人類が、いまの子どもに、はたして幸を与えているでしょうか?
いまいちど考えてみよう。
いまの母親は、遊びに行く子どもに、
「小さい子どもは連れていかないように、けがをしたら、おまえの責任になるから」
と、言う。これは現在の社会状況の中から生まれた、責任回避、自己中心的な思想の産物ではないでしょうか。
密室文化の中で孤独になった子どもを、いまいちど広い自然の中に飛び出させ、仲間と共に遊び、学び、考え、自力で生活できる能力を育てたいと思う。そうした場所が失われつつある現在、幸いここには山あり海あり、森もある。その中でまだ小動物たちが歓喜の合唱をつづけている。この一帯を次の世代までも残さなければならない。我々の世代でもうこれ以上自然を失ってはならない。21世紀をになう子どもたちのためにも........。
河合雅雄 かわいまさを1924年兵庫県に生まれる
1952年京都大学理学部卒業
専攻:生態学・人類学
現在:京都大学名誉教授・(財)日本モンキーセンター所長・愛知大学教授
著書:「ニホンザルの生態」(河出書房新社)
「ゴリラ探検記」(講談社学術文庫)
「森林がサルを生んだ」(平凡社)
「学問の冒険」(佼成出版社)
「少年動物誌」(福音館書店)ほか
『こうしま 幸島 HAPPY ISLAND 1992. SPRING』の表紙及び22〜23ページより転載。
このコンテンツ及び写真等は、発行人の許可を得て、冊子『こうしま 幸島 HAPPY ISLAND』より転載したものです。オリジナルを出来るだけ忠実にコンテンツ化しているため、ページのつなぎ目や文字が重なった写真やイラスト等は、特別な加工を行わず、そのまま掲載しています。
こうしま 幸島 HAPPY ISLAND 1992. SPRING
発行日:1992年1月31日
発行所:財団法人幸島自然保護センター設立準備委員会
発行人:三戸サツエ(〒889-33 宮崎県串間市大字市木150)
写真協力:宮崎日日新聞社、芥川仁、河野充、中原聡
イラスト:有明小の子供たち、篠原太郎


第3に、出産して間もない雌が、新生児を顧みず海に飛び込むことによって、子が溺死してしまう可能性があります。
幸島は陸に近く、島全体が森林のため、山野性、水辺性の鳥類が生息している。
鈴木素直 すずきすなお
若者ザルの旅と帰ってからの群れへの入り方
おサルさん三戸先生へ
「幸島のおサルさんへ」
幸島に行って
私の孫は100びきのサルを聞いて
幸島のサルを説明してくれた三戸先生へ
私の孫は100ぴきのサル
三戸先生ありがとう
ありがとう。有明小学校の皆さん

この雄は群れのなかでいちばんつよいオスです。
これは群れの中で第5番目の位置を占めるオスで、おそらく満4年ぐらいと思われますが、第3位のオスとくらべると体も小さく、まだ子供っぽいところがあります。あぶれオスの中で末席を占めています。
生後4ヶ月半の子ザルを抱いて、乳をふくませているメスです。この子ザルは1952年8月15日に生まれました。母親は比較的若いサルで、順位はメスの中で第4位を占めています。この子ザルは母親からはなれて走りまわったり、ほかの子ザルと一緒に遊んだりしますし、もう母親の乳ばかりではなくて、府中の食物も食べるようになっています。これと同じような子ザルが3匹いますが、子ザル同士はとても仲よしで、木の枝に足でつかまってぶらさがり、手ですもうをとるといった変な遊びをします。このようにしてあそんでいるときに、私たちが近寄ったりしますと、側にいた母親が素早くとんで行って、子ザルを腹に抱いたり、自分の尻の上にのせたりして逃げてゆきます。
ここは、島のオオドマリという入江の一部です。

和解がなりたつと、たいていの場合は、この写真のように2匹の間で毛づくろい(グルーミング)が行われます。ただ注意すべきことは、弱い方が強い方の毛づくろいをしてやるということです。ふつうのグルーミングですと、たとえ一番強いオスと、小さい子ザルとのグルーミングの場合でも交代のあるのが通常なのですが、この場合だけはもっぱら強い方が毛づくろいをしてもらう一方で交代はありません。
まるで置物のサルが3ツおいてあるように、3匹並んでいますが、右が群れで一番強いオス、まんなかは、メスの中で第4位のサル、左が第2位のメスです。幸島では交尾期が正月頃からはじまりますが、この写真は交尾期があと1週間に近づいたころのある朝とったものです。発情に近づいたメスは次第にオスに近寄るようになります。そして一番強いオスのまわりに集まって来ます。群れには順位にもとづいた秩序があることはすでに書きましたが、発情期のメスの間には一番強いオスを中心にして、もうひとつ別な秩序が見られるようになります。すなわち発情の強さの度合いによってリーダーのオスに近寄れる特権の順位が決まるわけです。この写真は以上のような関係をよくあらわしています。オスの近くにいる第4位のメスの方が、第2位のメスよりも順位がひくいにもかかわらず、発情がすすんでいるためにオスの近くに寄ることが出来、オスから庇護をうける度あいも大きいわけです。餌を食べるときでも発情のすすんだメスは、オスと一緒に食べることが出来ます。
生後1ヵ年半になる子ザル同士が2匹で、あたたかい岩穴の中に入って、グルーミングをしています。脇の下あたりをグルーミングをしていますので、されている方は片手をあげています。㈷のグルーミングとはちがってこのようなふつうのグルーミングの場合は、しばらくたつと必ず交代があります。採食をおわったあと、ひだまりに出て、あちらでもこちらでも2〜3匹つづかたまってグルーミングをしますが、これは彼等の日課のひとつになっています。雨のあとなどにはとくにたんねんなグルーミングが見られます。

美しい姫さまを、幸せの使者として、尊敬していた村人は、姫の死を大変悲しんで、オオドマリ(大泊)の上の森に社(やしろ)をたて幸福の女神、ビザイテンさまとして祀りました。
(右写真:石波のお社)