2008年08月22日

Vol.01 04-05 弁財天さまと幸島の由来 − サルの伝説 −

 いつ頃から島にサルが住みついたのか、誰も知りません。それほど遠い昔から、住んでいたのです。
 村の老人は、子から孫へと、こんな話を聞かせたものです。

 −むかしむかし、京の都のある高貴なお方に、ひとりの美しい娘がおったそうな。みんなから、「お姫さまお姫さま」といってかしづかれ、愛されておったのだが、下僕を恋したので、父君はたいへん立腹されて、サルの夫婦を召使として、いっしょに舟に乗せると、海に流してしまわれたのじゃ。  舟は流れ流れて、とある小さな島にたどり着いたのじゃ。姫は島に上がってサルといっしょに住みつかれた。そして、魚たちを島によびよせたり、海で漁をする男たちの大漁と無事を祈ったり、田んぼで働く農民の豊作を願って暮らされたのじゃ。  それからは、大漁、豊作続きで村は大変豊かになった。それで、姫の住む島を幸島というようになったのじゃ。

弁財天さまと幸島の由来  美しい姫さまを、幸せの使者として、尊敬していた村人は、姫の死を大変悲しんで、オオドマリ(大泊)の上の森に社(やしろ)をたて幸福の女神、ビザイテンさまとして祀りました。
 村人が心をこめて刻んだその像は、頭上に男の神様をかぶり、美しい姫は八本の手を持ち後ろに五光が輝いています。
 これは村人が姫の徳を表したものといわれています。
 頭上の男の神は夫を敬い家庭円満を表し、右手の四本は、愛情、信頼、協力、慈悲、左手の四本は、智恵、勇気、決断力、健康を表し、人々に心豊かに平和に暮らすことを教えてくれています。
 今でも漁師たちは、遠く漁に出かけるときは、かならず、オオドマリ湾の上の森にあるビザイテンさまにおまいりして、大漁と無事を祈願してから海にのりだすのです。
 またビザイテンさまが陸の方に出ていらっしゃったときに海が荒れてお帰り出来ない時の仮のお宿として、石波海岸樹林の一角に石のお社が立てられています。このまわりは、近所の人が、今でも掃き清めて花を供えています。
 島のサルたちは「わこさま*」と呼ばれ、ビザイテンさまのお使いとされています。幸島に魚つりに行ってサルに弁当を取られても「わこさま、弁当を食べたら、弁当箱だけは返しておくれ。」
 といって、サルがからになった弁当箱を投げてくれるまで待っているのです。
 また島の樹木は、
 「わこさまのものだ、木を切るとばちがあたる。」
 と、村の老人たちは、子から孫へと言いつたえてきました。
 こうして護られたビザイテンの森は、オノを入れたことのない原生林で、カゴノキやイスノキの大木があり、ヤマモモやイヌマキなど何百年もの風雨にたえ、毎年サル達においしい実を与えています。村人も海岸では海藻や貝を採取し、平和な生活を長年続けてきました。
 しかし、終戦後にはサル狩があったり、最近訪れる釣客や観光客の中には、サルに取られた食べものに腹を立て、サルに仕返しをする人もあります。ここはサルの居住地であることを忘れないでください。


石波のお社 (右写真:石波のお社)

* わこさま、「和子」身分の高い人の子を尊敬した言い方。(「三省堂国語辞典」)

注=ビザイテンさまは、安永11年に作られましたが、その後いたみがひどく、昭和19年に桑山某氏がその像を復元しました。その時そばにはべっていた2匹のサルの像を復元するのを忘れてしまって、現在はサルがいません。




『こうしま 幸島 HAPPY ISLAND 1992. SPRING』の表紙及び4〜5ページより転載。


このコンテンツ及び写真等は、発行人の許可を得て、冊子『こうしま 幸島 HAPPY ISLAND』より転載したものです。オリジナルを出来るだけ忠実にコンテンツ化しているため、ページのつなぎ目や文字が重なった写真やイラスト等は、特別な加工を行わず、そのまま掲載しています。


こうしま 幸島 HAPPY ISLAND 1992. SPRING

発行日:1992年1月31日
発行所:財団法人幸島自然保護センター設立準備委員会
発行人:三戸サツエ(〒889-33 宮崎県串間市大字市木150)
写真協力:宮崎日日新聞社、芥川仁、河野充、中原聡
イラスト:有明小の子供たち、篠原太郎
posted by みやざきの自然 at 20:34| こうしま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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